経済・政治・国際

2019年7月22日 (月)

複雑でどっちつかずの選挙制度

参議院議員選挙が終わりました。皆さんは投票に行かれましたでしょうか。私はもちろん行きました。

選挙の度に思うことですが、日本の選挙制度は複雑すぎる、あるいは、どっちつかずな気がします。

多数の意見が重視される民主主義なのか、少数意見をできるだけ汲み取る民主主義なのか。政治を考える上で、これは非常に大事な論点です。

そもそも日本はこの二択に結論が出しきれずに、どっちつかずの「小選挙区比例代表並立制」という折衷案に逃げ込んだという経緯があります。

小選挙区制や参議院の選挙区選挙(一人区)は、二大政党制になりやすく、政治にスピード感が出せますが、少数意見は切り捨てられやすい。一方、比例代表制は、国民の様々な意見が反映されますが、小党分立になりやすく、その分意思決定も遅い。

非常に難しい問題ではありますが、そろそろどちらの道を選択するのか、結論を出してもよいのではないでしょうか。「とりあえず、一票の格差を是正しなければならないから」だとか「◯◯党に不利だから、比例代表の数は減らせない」だとか、言っている場合ではないと思います。

 

 

2019年7月 7日 (日)

「仁徳天皇陵古墳」など世界遺産へ

81306024009840 アゼルバイジャンの首都バクーで開催中の国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会は6日、世界最大級の墳墓である「仁徳天皇陵古墳」(大山古墳)を含む「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」(大阪府)を世界文化遺産に登録すると決定しました。天皇や皇族の墓として宮内庁が管理する「陵墓」の登録は初めて。

大阪で初の世界遺産となる百舌鳥・古市古墳群は、百舌鳥エリア(堺市)と古市エリア(羽曳野市、藤井寺市)にある計49基の古墳で構成。4世紀後半から5世紀後半、大陸と行き来する航路の発着点だった大阪湾を望む場所に築造され、墳丘の長さが486メートルもある国内最大の仁徳天皇陵古墳や425メートルの応神天皇陵古墳(誉田御廟山古墳)など大規模な前方後円墳が集中しています。

これで日本国内の世界遺産は23件目で、7年連続での登録となります。内訳は文化遺産が19件、自然遺産が4件。

 

 

 

2019年6月27日 (木)

70歳雇用について

いわゆる70歳雇用が実現しそうです。

今の高齢者はまだ年金だけで生活できます。しかし、これからの年金受給者は、年金だけでは生活ができない。もしくは生活が苦しくなることが予想されます。仕事を辞めた後に、必要になる貯金は2,000万円という話も出ましたよね。高齢者も将来の不安があるので、65歳で定年ではなく、働き続けたいというのが本音なのです。

70歳雇用のメリットとしては、少子化の中での人材不足解消や、特に職人の世界で、高齢者の知識や技術を活かせるという点などが考えられます。

一方、デメリットとしては、高齢者、現役世代ともに賃金が下がる可能性が高いこと、人材の入れ替わりが少なくなること、若者の就労機会が奪われるおそれがあることなどが考えられます。

いずれにせよ、右肩上がりの経済成長を前提に作られた年金制度はこのままではもたないことだけは確か。働き方改革を含め、何らかの対策を講じなければならないことだけは間違いないでしょう。

 

2019年6月17日 (月)

「漁夫の利」の解釈

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風刺画は教科書などによく掲載されていますが、それが史実に即したものなのかどうかは検討が必要です。というのは、いかにも世相をよく表したように見えて、実際は、作者一個人の感想を描いたに過ぎず、時に一人よがりであることも少なくないからです。

たとえば、有名なビゴーの「漁夫の利」(本当のタイトルは「魚釣りの会」)は、「日本と中国(清)がともに朝鮮を狙っていて、両国が争って互いに疲弊するのを、南下政策を進めたいロシアが待っている」という風に解釈されます。

しかし、この風刺画が掲載された1887年は、福沢諭吉が『時事新報』において、支那・朝鮮を名指しして、「亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」と、いわゆる「脱亜論」を宣言した頃であり、また、日本政府も、甲申事変や壬午事変をきっかけとして、朝鮮に積極的に関与するのを放棄していた時期に当たります。

したがって、日清戦争に関連して扱われることの多い「漁夫の利」ですが、残念ながら史実に即しているとはいえません。あくまでビゴーの目には当時の国際情勢はこう見えていたという解釈にとどめておくべきでしょう。
 

2019年6月 4日 (火)

小野妹子返書紛失事件

607年、遣隋使として派遣された小野妹子は、隋の煬帝に対して国書を渡したことで知られています。

その国書には、「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」と書かれていました。倭国(日本)の大王と中国の皇帝を同じ「天子」と表現し、対等外交を求めたことに煬帝は激怒しました。

しかし、煬帝は怒りつつも、当時、対立関係にあった高句麗と倭が結ぶことを恐れ、翌年には、倭に対する返書だけでなく使者も派遣しています。

ところが、小野妹子は、煬帝から受け取った返書を紛失してしまいます。帰国途中に百済人に襲われて奪われてしまったというのがその理由ですが、妹子が空気を読んで機転を利かせたというのが真相でしょうね。

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2019年6月 2日 (日)

1980年代の日本

2013年の関東学院大学文学部、経済学部、他の日本史で、以下のような問題が出題されました。

……(  )年12月には、マルタ島で米ソ首脳会談が開かれ、「冷戦の終結」が宣言された。日本で株価が暴落し、長い不況に突入するのはこの後のことであった。

問9 空欄に入る年代で正しいものはどれか。該当する番号をマークせよ。
1 1989  2 1991  3 1993  4 1995  5 1997

問10 下線部に関して、それと同年の日本の出来事として正しいものはどれか。該当する番号をマークせよ。
1 社会党を中心とした政権が誕生した。
2 沖縄でサミットが開催された。
3 国鉄が民営化され JR となった。
4 元号が昭和から平成になった。

問9 「日本で株価が暴落し、長い不況に突入するのはこの後のことであった」から導けるが、問10とセットで考えてもよいだろう。

問10 1は1994年、2は2000年、3は1987年のこと。平成生まれの高校生にとっては、こういうのも歴史。いずれ、元号が平成から令和になった年が問われるときが来るのだろう。

解答 問9 1  問10 4

2019年6月 1日 (土)

令和の時代は

日本経済に勢いのあった時代を知らずに育ったのが平成生まれの若者たちです。そのためなのかどうかはわかりませんが、彼らは若者特有のパワーに乏しく、大人はつい物足りなさを感じてしまいがちです。

しかし、よく考えてみれば、過剰な消費欲を持たず、身の丈に合った幸せで満足する若者は、バブルに浮かれていた中年世代よりよほどまともで、人間らしいとも言えます。

日本は成熟段階に入っており、かつてのような経済成長はもう期待できないでしょう。誰もが同じ大きな「物語」を信じられた時代は終わったのです。

平成生まれの若者たちのように物質的な豊かさを求めず、身の丈に合った幸せを生きる。令和の時代は、「過剰な経済発展や消費生活の充実が無条件に幸せをもたらす」という価値観の相対化が進み、個人個人の幸せの多様性が認められる、真の意味でのポスト近代社会が訪れるのではないでしょうか。

2019年5月17日 (金)

ソニーから見た戦後史

2017年の成城大学経済学部の日本史で、切り口のおもしろい以下のような問題が出ました。

次の文章を読み、設問に答えよ。

(略)
1958年に社名をソニー株式会社に変更し、……1968年にはトリニトロンカラーテレビを発売した。

問 下線部に関して述べた次の文①・②について、その正誤の組み合わせとして正しいものを、下のア~エから選び、記号で答えよ。
① 自動車、クーラーとともに新三種の神器と称された。
② 皇太子の成婚をきっかけに各家庭に普及した。
 ア ①正 ②正  イ ①正 ②誤  ウ ①誤 ②正  エ ①誤 ②誤

カラーテレビの放送は1960年から。皇太子(現・上皇)の成婚は1959年。

解答 イ
 

2019年5月 6日 (月)

三島弥彦

As20190221004218_comml三島弥彦は1886年東京生まれ。元薩摩藩士というエリート一家に生まれ(父は福島事件で有名な、あの三島通庸です)、しかも170センチという当時でいえば長身でスポーツ万能でした。

それだけでなく、頭脳明晰で学習院で学んだあと、東京帝国大学(法科)へ進学します。

帝国大学在学中の26歳の時に、日本初のオリンピック代表選手となり、1912年のストックホルムオリンピックに参加しました。結果は振るいませんでしたが、日本人選手が世界へ進出するきっかけを作ったと言われています。

引退後は銀行員となり、横浜正金銀行ニューヨーク支店支配人を務めました。

大河ドラマの『いだてん』の主役は金栗四三ですが、三島弥彦も十分すごい人物ですね。

2019年4月30日 (火)

「平成」最後の日に

本日限りで「平成」が終幕。皇居・宮殿で代替わりの重要儀式「退位礼正殿の儀」が国事行為として催され、天皇陛下が国民に向け、最後の「お言葉」を述べられます。5月1日には皇太子さまが新天皇に即位。「令和」に改元されます。

明治期に定められた天皇の終身在位制が戦後も引き継がれたため、退位は江戸時代の光格天皇以来202年ぶりのこと。

光格天皇といえば、「尊号一件」です。「尊号一件」とは、1789年、光格天皇が行為についたことのない父の典仁親王に太上天皇(上皇)の称号を贈ろうと幕府に打診したものの、時の老中松平定信の反対で実現しなかった事件のことです。

来年の入試で、「光格天皇」や「尊号一件」を出題する大学が出てくるかもしれませんね。責任は持てませんが。

 

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