日記・コラム・つぶやき

2020年7月 6日 (月)

男と女の脳の違い

男同士の場合、しばしば「最強の〇〇は誰か」という会話で盛り上がったりします。ネット上でもよく見かける話題です。

「最強の打者は誰か」とか「メッシとマラドーナのどちらが上か」みたいな話題で盛り上がり、白黒をつけたがる。時に熱くなりすぎてケンカにまで発展することがありますが、仲直りも早く、次の日になると、何事もなかったかのように元の鞘に収まっている。

逆に、女性同士の会話は以下のような感じ。

「私、超おいしいスイーツの店みつけたよ」
「へえ。私の家の近所にもおいしいスイーツ店あるよ」
「じゃあ、今度、食べ比べしてみようよ」

もし男同士なら、どちらのスイーツ店がよりおいしいか、優劣をつけようとするかもしれませんが、女同士ではそんなことは全くありません。彼女たちはただ一緒に自分たちのおいしいと思ったものを味わいたいだけなのです。これは女性の持つ「共感脳」のゆえであり、優劣よりも友達と同じであることを美徳とする女性特有の感覚です。

ちなみに、女同士の場合、一度仲間はずれにされたり、「いつも一緒」という共通意識が途切れたりした場合、回復するのに時間と困難を要し、男のように割とあっさり元の鞘に収まるということはありません。男性からすると「面倒くさくて大変だなぁ」と思ってしまいますが、女性には決して犯してはならない「暗黙の了解」のようなものがあるのでしょう。

このように考え方がそもそも違うので男女がわかりあえないのは当然といえば当然です。しかし、互いに上記で述べたような傾向があるということは知っておいて損はないでしょう。

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2020年6月22日 (月)

正解してはいけない問題

クイズでも何でも、問題が出題されたら正解することを目指すというのが人間の本能ですが、世の中には正解してはいけない問題というのがあります。「私、何歳に見えますか?」というのがそれです。

ニアピンでも微妙な空気になるので、予想より5~10歳は下、いっそ一回りは下の年齢を答え、相手から正解を聞いた後、「そんな年には見えない!」と、少しオーバー気味に驚いてあげるのが大人というものです。それを本気で正解してしまうと、円滑なコミュニケーションが妨げられてしまう。多少白々しくなってしまっても正解するよりはましです。相手を主役にしてあげましょう。

似たようなものに、「これ、いくらだと思う?」があります。人にもよりますが、一般的に、相手が関東人なら予想より低めに、関西人なら予想より高めに答えておくと、その後の相手とのコミュニケーションがうまくいくかと思います。

 

2020年5月19日 (火)

アマビエ

320px 最近よく目にする妖怪アマビエ。3月頃からSNSを中心に、イラストを描いて広めるのがちょっとしたブームになっています。厚生労働省の新型コロナウイルス対策のアイコンにもなりました。

このアマビエ、江戸時代に肥後(熊本県)の海から姿を現し、「疫病が流行した際は私の姿を描き、人々に見せよ」と語ったと伝えられています。そこからコロナ退散のシンボルとして、アマビエの絵を描いたり、マスコットやあみぐるみがつくられて、ツイッターやインスタグラムで広まっていきました。

妖怪と暗闇は不可分なものだと思います。現代の都市という空間はただひたすらに利便性を追求した結果であり、旧時代の暗闇を理性の光(人工的な光)によって照らさんとする目論見が次々と結実した姿です。

そういう意味では、現代に妖怪というのはミスマッチなような気もしますが、このようなものにもすがりたくなるほど、コロナは恐ろしいということなのでしょう。コロナウイルスは現代社会に突然現れた「暗闇」なのかもしれません。

 

2020年5月17日 (日)

矛盾することわざ

短い言葉でためになることを教えてくれるのがことわざです。しかし、ことわざの中には相反する内容を持つものが存在します。

たとえば、二回失敗したらその次は成功するという意味の「三度目の正直」と、同じようなことが二度続いたら三度目も同じ結果になるという意味の「二度あることは三度ある」。あるいは、成功するかはさておき、とりあえず挑戦してみろという意味の「当たって砕けろ」と、慎重に慎重を重ねて物事に臨むという意味の「石橋を叩いて渡る」などです。

これら以外にも、矛盾することわざはあります。「一体どっちなんだ!」とツッコミを入れたくなる気持ちはわかりますが、ことわざはどれも真理に迫ったもの。どちらかが間違っているというわけではありません。どっちを信じるかは、時と場合、または、その人の性格によるのだと思います。

考えてみれば、生きていることというのは矛盾することだらけ。このことに気がつかせてくれるのもことわざのおもしろいところかもしれません。



 

 

 

2020年5月16日 (土)

けりをつける

「終わりにする」といった意味で用いられる「けりをつける」という慣用句がありますよね。

意外に思うかもしれませんが、「けりをつける」の「けり」は「蹴り」ではありません。古文の助動詞「けり」からきています。

今は昔、竹取の翁といふ者ありけり(竹取物語)

田子の浦ゆ打ち出でて見れば真白にぞ不尽の高嶺に雪は降りける(万葉集、山部赤人)

このように、「〜だった」という「過去」や「〜だなあ」という「詠嘆」の意味を表す助動詞の「けり」は、古文の文章や和歌で文末につくことが多い。そこから「終わりを迎える」という意味の「けりをつける」という言葉ができたのです。

「けりをつける」の由来は「蹴りを入れてケンカを終わらせる」的な物騒なものではなく、古文の助動詞にあったわけですね。ちょっとした雑学ではありますが、古文を勉強している人は関連して覚えておくとよいでしょう。

2020年5月11日 (月)

『日本史B講義の実況中継』

こっちの『実況中継』をまだ持ってる人って少ないんだろうなぁ。今となっては貴重かも。

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2020年5月10日 (日)

これほどの誉め言葉はない

これまで私は歴史能力検定関係で新聞等のメディアに何度か取り上げてもらいましたが、母親はそれを好みません。新聞記事を切り抜いて保存したり、録画したりしてほしいとは思いませんが、悪いことで取り上げられているわけでもないのに、なぜ悪態をつくのか。はっきり言って、私は不満でした。

母親曰く、「あんたが日本史で満点取るのなんか当たり前でしょう。わざわざ取材してもらうほどのことではない」

前回の歴検2級日本史で満点だったのは全国で私一人だったのですが、それは当然のことらしい。

考えてみれば、これほどの誉め言葉はないような気がします。他人ではなく、血のつながった家族というのはこういうものなのかもしれません。

2020年4月15日 (水)

一関学習塾ができるまで➁

中学校に二校勤めました。大規模校と小規模校でした。偶然ですが、それも今にして思えばよかったと思います。

その後、仙台に移り、塾の先生になりました。仙台を選んだのは、単純に、大学が仙台にあったため、全く知らない土地ではなかったことと、都市の規模からいって、一関では雇ってくれるところがないだろうと思ったからです。

塾も複数勤めました。そのため、個別指導、集団指導、家庭教師、自立学習と、様々な指導形態を経験できました。塾は学校と違い、専門教科以外の指導もしなければならず、そのために勉強もたくさんしました。下手したら、学生時代よりやったかもしれません。

生徒集めのノルマを課されたり、他講師と公平とは思えない競争をさせられたり、あまり納得のいかないことでもやらなければいけない場合もありましたが、そのおかげで大分鍛えられたと思います。

教室責任者をやらせてもらっていた頃に、東日本大震災がありました。それをきっかけに、地元に恩返しをすることを考えるようになりました。私ができるとしたら、教育で恩返しをするしかない。30代になっていたので、預金もそれなりにありましたし(塾はそれほど大量の資金がなくても始めることができます)、自分が「人を使うタイプでも、使われるタイプでもない」ことも感じ始めていました。

こうして、2013年の春に一関学習塾という個人塾を始めて現在に至っています。まだまだ自分の理想には届いていませんが、なんとかそこに少しでも早く近づけるように、今日も頑張っています。

 

2020年4月14日 (火)

一関学習塾ができるまで➀

私は中学校の社会の教員免許を持っていて、実際に中学校に勤めた経験もあります。

学生の頃に、日本史で全国模試1位になり、これでやっていくしかないんだなという思いが強くなりました。また、受験勉強をしていく中で、予備校の先生の影響を多大に受けてもいました。憧れのような気持ちもあったと思います。ですから、教える仕事に就きたいとは思っていましたが、正直言って、学校の先生でなければならないというこだわりはありませんでした。しかし、学校も経験しておいた方がよいという考えは持っていました。

学校に勤めた経験がない(教員免許がなくても塾の先生になることはできます)のに、学校の先生を批判する塾の先生がいますが、私はそういう人を認めません。学校の先生は外から見ている以上に大変です。

経験に乏しく、大した技術もなかったため、当時の生徒には申し訳なかったという思いが私の中にあります。それにもかかわらず、20年以上たった今でも交流がある者がいることはありがたいことですし、何かしら印象に残るものだけは植えつけられたのかなぁという気がして、それが救いになっています。

朝早かったり、あまりやりたくない雑務的な仕事もたくさんありましたが、そのようなことを差し引いても、若い時代に学校を経験できたことはとてもよかったと思います。今やれと言われても、おそらく難しいでしょうから。

 

2020年2月16日 (日)

正当に怖がる

コロナウイルスによる新型肺炎に関するニュースが連日報道されています。ついに国内初の死亡者も出てしまいました。

寺田寅彦の文章の中に、「ものを怖がらなさ過ぎたり、怖がり過ぎるのは易しいが、正当に怖がるのは中々難しい」というのがあります。

新型肺炎だろうが、受験勉強だろうが、よくわからないまま、ただ怖がっているばかりではいけません。といって、何の根拠もなく「大丈夫だ」と高を括るのも危険です。

何事も知ることが第一歩です。何が危険なのかをきちんと把握したうえで、危険を遠ざけるためにできることをしっかりやっていく。

口で言うほど簡単なことではないかもしれませんが、それが最も賢明な態度ではないでしょうか。

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