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2017年5月 6日 (土)

巌流島の戦いの顛末

司馬遼太郎の『竜馬がゆく』が日本人の坂本龍馬のイメージを作ったように、宮本武蔵のイメージは吉川英治の『宮本武蔵』が作ったといっても過言ではないでしょう。

小説のハイライトは巌流島の戦い。ご承知のように、宮本武蔵は船の櫂をけずった木刀で佐々木小次郎を倒したことになっています。もちろん一対一の対決で。しかし、17世紀(1682年)の『沼田家記』は以下のように伝えます。

戦いの後、小次郎は蘇生したが、それを隠れ見ていた武蔵の弟子が殺した。それで怒った小次郎の弟子が武蔵に復讐しようとしたが、武蔵が門司城(巌流島の対岸)の城代の沼田延元に助けを求め、武蔵を新免無二斎(武蔵の父、養父とも)のいる豊後(大分県)まで送り届けた。

現在はこちらの方が有力です。ちょっと残念な気がしますが、リアルな戦いとはこういうものなのかもしれません。

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