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2017年4月 8日 (土)

ミロのヴィーナス

Front_views_of_the_venus_de_milo_3詩人で作家の清岡卓行氏の評論『手の変幻』の中に「失われた両腕 ミロのヴィーナス」という文章があります。

冒頭、筆者はこう述べます。

「ミロのヴィーナスを眺めながら、彼女がこんなにも魅惑的であるためには、両腕を失っていなければならなかったのだと、ぼくはふとふしぎな思いにとらわれたことがある」

ミロのヴィーナスは両腕を失うことではじめて、時代を超える美を獲得した。それを筆者は、「特殊から普遍への巧まざる跳躍」と表現しました。

不完全だからこそ美しいというのはおもしろい発想です。しかし、一方で筆者はこうも述べます。

「両腕でなく他の肉体の部分が失われていたとしたら、ぼくがここで述べている感動は、おそらく生じなかったにちがいない」

では、なぜ腕でなければならなかったのか。それは、手が「世界との、他人との、あるいは自己との千変万化する交渉の手段である」から。そのような「きわめて自然で、人間的」な手が失われたからこそ、ミロのヴィーナスは非人間的、非現実的な存在へと昇華したというのです。

最後に、筆者はこう結んでいます。

「美術品であるという運命をになったミロのヴィーナスの失われた両腕は、ふしぎなアイロニーを呈示するのだ。ほかならぬその欠落によって、逆に、可能なあらゆる手への夢を奏でるのである」

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