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2015年11月 7日 (土)

応仁の乱について

近年は減ってきましたが、大学入試において、日本史の問題として小論文的出題が見られることがあります。

古いものではありますが、1981年の東大二次試験を例にあげます。

「だいたい今日の日本を知るために日本の歴史を研究するには、古代の歴史を研究する必要はほとんどありませぬ。応仁の乱以後の歴史を知っておったらそれでたくさんです。それ以前のことは外国の歴史と同じくらいにしか感ぜられませぬが、応仁の乱以後はわれわれの真の身体骨肉に直接触れた歴史であって、これを本当に知っていれば、それで日本歴史は十分だと言っていいのであります。」 これは、東洋学者として知られた内藤湖南が、1921(大正10)年、「応仁の乱について」と題して行なった講演の一節である。この部分だけを取り出してみると、あるいはあまりにも極端な議論と思われるかもしれない。しかし、この発言の前で、湖南はほぼ以下のことを述べて、その主旨を説明している。

(1) 歴史とは、ある一面からいえば、いつまでも下級人民の向上発展してゆく過程であるといってよい。日本の歴史もまたそうであるが、中でも応仁の乱は、そのもっとも大きな記録である。

(2) 元来、日本の社会は、地方に多数の有力な家があって、そのおのおのを中心につくられた集団から成り立っていた。ところが今日、多数の華族のうちで、公卿華族を除いた大名出身の家の大部分は、みな応仁の乱以後に出て来た家である。応仁の乱以前にあった家の多数は、応仁以後の長い争乱のため、ことごとく滅亡している。応仁の乱以後百年ばかりの間は、日本全体の身代の入れかわりである。こういうことから考えると、応仁の乱は日本をまったく新しくしてしまったのだ。

以上に要約した論旨を参考にしつつ、各人の自由な視点から、湖南の見解を、400字(句読点も1字に数える)以内で論評し、答案用紙に記入せよ。

「自由な」視点から論評せよとありますが、何でもよいわけではもちろんなく、歴史的事実に基づいて答案を作成しなければなりません。そして、「論評せよ」というのですから、湖南の見解に賛成か反対かを明記することが必要です(そもそも小論文とはそういうものです)。賛成でも反対でもどちらでもよいですが、論理的に解答をまとめることを心がけましょう。

以下に解答例を示します。もっと良い答案もあり得るでしょうから、向学心の高い皆さんや東大を志望される皆さんは各自チャレンジしてみてください。

(解答)
 私は、「今日の日本の歴史を研究するには、応仁の乱以後の歴史を知っていれば十分である」という内藤湖南の見解には賛成できない。
 たしかに湖南の言うように、華・士族のほとんどは応仁の乱以後の下剋上によって出て来た家であり、それ以前にあった家の多数は滅亡してしまった。また、発言当時の農村社会は兵農分離によって成立した近世の農村を基盤にしている。加えて、この頃生まれた書院造は現在の和風住宅の源流となっている。こうしてみると、湖南の見解には一定の妥当性が認められる。
 しかし、近世の農村は南北朝期に登場した惣村が元になっているし、和歌や大和絵など文化の連続性も無視することはできない。何より、王政復古によって成立した明治維新は古代史を前提としなければ理解できないものである。
 このような点を考慮すると、湖南の見解には全面的には賛成しかねる。

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