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2015年10月 2日 (金)

『国盗り物語』について

司馬遼太郎の『国盗り物語』を読んだのはずいぶん前のことです。

この物語は、1・2巻の「斉藤道三編」と3・4巻の「織田信長編」から成っているのですが、切れ目なくきれいに話の流れがつながっており、その構成力は見事としか言いようがありません。個人的には、史実とは大分違った1・2巻の「斎藤道三編」よりも、織田信長と明智光秀の二人を主人公とする3・4巻の「織田信長編」の方が印象に残りました。

信長の家臣たちは、戦功を積み重ねても、謀反の心を持たなくても、信長の心ひとつでいつ失脚するか、抹殺されるかわからない不安定な状態に置かれていました。特に光秀のように譜代ではない家臣には、より強い不安感があっただろうと想像できます。

「織田信長編」では、徹底的な合理主義者であり、革命児である信長と、高い教養と保守性を持つ光秀という、全く正反対の気質を持つ二人の対照が際立って描かれており、そこがとてもおもしろかった。一般的には、光秀は不人気ですが、作者は、どちらかといえば光秀に肩入れしています。この物語を読むと、光秀がなぜ本能寺の変を起こしたのか、作者なりの答えが示されている気がして、そこも大変興味深かったです。

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