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2015年9月13日 (日)

戦後の沖縄

琉球・沖縄史は、日本史における頻出テーマ史の1つです。受験対策はもちろんですが、現在の沖縄にまつわる様々な問題を考える上でも歴史を学ぶことは意義深いと考えます。

次の文章を読み、空欄および下線部について、下記の設問に答えなさい。(2015年 学習院大―経済)

 1960年代末から1970年代初め、沖縄返還交渉が本格化したが、当時並行して、日本は米国との間に、(2)日米( 1 )交渉を行っていた。これは日本の( 1 )産業の米国への大量の製品輸出が貿易摩擦を引き起こしたことに伴うものであり、沖縄返還の代償として日本の( 1 )産業の輸出規制が求められていたといわれる。
 1972年の沖縄返還にあたっては、「( 3 )抜き、本土並み」変換がうたわれていた。しかし、実態は沖縄住民の考える「本土並み」とはほど遠く、多くの米軍基地が存続した。また、有事の際、米軍の、( 3 )持ち込みを事実上認める「密約」がなされていたとの証言も、関係者によって残されている。
 返還後の沖縄では、1975年から翌年にかけて国際海洋博覧会が開催され、のちに観光地としての開発も進むなど、大きな変貌が見られた。1992年には、「沖縄戦」などによって破壊された、旧王朝の王宮である( 4 )城が復元され、2000年には、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」が世界遺産に登録された。しかし、基地をめぐる摩擦は繰り返し問題化し、1995年には米軍兵士による女子小学生暴行事件を契機に、基地縮小を求める県民運動が激しく高揚した。これを受けて、沖縄の基地蓋の軽減が検討され、1996年には、宜野湾市の( 5 )基地(飛行場)を移設条件付きで返還することを目指すことが日米の間で合意された。しかし、その後、移設先を巡る紆余曲折があり、いまだ変換には至っていない。
〔設問〕
(1) 空欄(1)にあてはまるもっとも適切な言葉を漢字で答えなさい。
(2) 下線部(2)に関連して、通商産業大臣として、当時の日米( 1 )交渉を決着させ、
  1972年、内閣総理大臣となった人物の人名を答えなさい。
(3) 空欄(3)にあてはまるもっとも適切な言葉を漢字で答えなさい。
(4) 空欄(4)にあてはまる城の名称を答えなさい。
(5) 空欄(5)にあてはまる基地(飛行場)の名称を答えなさい。

(1)がやや難。1960年代初頭、日本からの繊維製品の輸出によりアメリカの繊維産業が打撃を受けたため、アメリカは日本に輸出規制を求めてきました。政府間で調整が行なわれた結果、1972年の沖縄返還の見返りとして、日本は輸出を自主規制することで決着。日本は「糸」を売って「縄」を買ったといわれました。以上のようなことを知らなくても、地理または公民の知識を動員してできれば正解したいところですが、厳しいでしょうか。(1)以外はすべて標準レベルなので落とせません。

解答 (1) 繊維  (2) 田中角栄  (3) 核  (4) 首里  (5) 普天間

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