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2015年8月15日 (土)

講和問題

今年は戦後70年。節目の年に改めて戦争と平和について考えてみるのもよいかもしれません。10年前にもそのような意図で出題された問題がありました。

次の史料を読み、下記の問いに答えよ。(2005年 早大―政経)

史料
 今や講和の確立及び占領の終結は、一切の日本国民の切迫した必要であり要求である。けれども講和が真実の意義を有し得るには、形式内容共に完全なものであることを要し、然らざる限り、仮令名目は講和であっても、実質は却って新たに戦争の危機を増大するものとなろう。この意味に於いて、講和は全面講和たるべきものである。

問 史料は、1950年に発表された、講和の形式をめぐる知識人のアピールの一部である。
 当時の政府が、実際に、どのように講和を実現したかを、120字以内にまとめ、記述解答
 用紙に記しなさい。その際に、例にしめされるように、内閣の名称を明記しなさい。
 〔〕 当時の○○内閣は、……

冷戦激化を背景に日本が単独講和を結んだことは必須ですが、それだけでは字数を満たしません。平和条約と同時に締結された安保条約もふまえ、吉田茂内閣が独立後の日本のあり方に関してどのような道を選択したのかについても記すべきでしょう。

(解答)
冷戦が激化する中、当時の吉田茂内閣は、全面講和ではなく、アメリカを中心とする西側諸国と単独講和を結んだ。また、サンフランシスコ平和条約と同時に日米安全保障条約も締結し、再軍備の負担を避けて経済発展を優先する道を選んだ。

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