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2013年12月14日 (土)

一関市民の『忠臣蔵』に対する複雑な思い

1702年、赤穂浪士47人が吉良邸に討ち入りし、主君の仇討ちを成し遂げたのが、今日12月14日です。

詳細は省略しますが、この事件を題材として、『仮名手本忠臣蔵』をはじめ様々な作品が作られ、現在まで語り継がれているのはご承知の通りです。

『忠臣蔵』という物語の世界で吉良家ほどではないにせよ、悪役視されている家に田村家があります。というのは、一関藩主田村建顕の江戸屋敷で浅野内匠頭長矩が切腹したからです。当時建顕は奏者番という役目で殿中に務めており、下命により内匠頭を江戸屋敷に預かり沙汰を待っていました。即日、切腹、お家断絶という命が下り、法にしたがって内匠頭は田村屋敷で切腹したにすぎません。ところが、赤穂浪士ではなく義士と言わねばならぬといった立場の人の中には、「大名を庭先で切腹させたのはけしからん、それは田村の落ち度だ」と言うような人がいるのです。

『忠臣蔵』という物語を愛好するのは結構ですが、理不尽な悪役視をされたのではかないません。

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