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2013年3月16日 (土)

「華」考

かつて作家の司馬遼太郎さんは、「大衆食堂などに入って、軽々に゛冷やし中華″などというべきではない」と述べました。

「華」とは文明を意味します。現に中国人は自らを華人と称します。文明人のことです。お察しの通り、中国とは文明の中心国という意味なのです。

ところで、華が文明である限り、周りを野蛮国(夷)で囲まれていなければなりません。したがって、中国にとっては周辺国との対等外交はありえず、日清戦争の頃まで朝貢関係のみが存在しました。いわゆる華夷秩序というのがこれです。

近代まで東アジアは華夷秩序に覆われていました。もちろん日本も例外ではありません。8世紀、中国にならって独自の大宝律令を制定した律令国家は、小中華帝国を自認するようになりました。そして、国外においては、新羅や渤海を属国扱いし、国内においては、東北地方に居住し独自の文化を形成していた人々を、律令国家的ではないという理由で蝦夷と呼んで差別し、征伐の対象としていきました。蝦夷征討は9世紀前半まで続きますが、それは東北地方の人々を苦しめただけではなく、国家財政を圧迫し、民衆の負担を増大させました。「徳化」の名のもとに、多くの犠牲者が生まれたのです。

エスノセントリズム(自民族中心主義)は常に対立と悲劇をもたらします。人間である限り自己愛を捨て去ることはできませんが、これとうまくつき合っていくことならできるのではないでしょうか。

東日本大震災から2年が経過しました。震災を経験したこれからの時代、「共生」というものの重みがさらに増していくでしょうし、そうなってほしいと願います。

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